Twitterを消した
Twitterのアカウントを消した。
誰とも分かり合えなかった。
精神疾患を患ってることは同じなのに、周りの人はみんな環境に恵まれて良い方向に向かっている。でも自分は、どう頑張っても何も良くならなかった。
みんな友人も家族も居るのに、自分には誰も居ない。
お医者さんも何も聞いてくれない。
仕事も決まらない。
そりゃそうだよね。家族に要らないと言われ続けた人が、外の世界で必要とされる訳が無い。
もう来年は大学続けられない。今年の分の単位は全部取れたのに。
経済的な理由って言っても、通信制の高校を卒業してる自分に世間はきっと、通信の大学すら続けられなかった意志の弱い人間って思うんだろうね。
世の中に優しい人なんて誰も居なかった。
みんな嘘つき。
大嫌い。
解離
ここ最近何をしていたかわからない
この間もバイトの面接に行ったのに落ちた。その後、車の中で頭がぐるぐるして動けなくなっていたような気もするし、返って大学の勉強をした気もする。
今日、会ったことがあるような、無いような、よく分からない人たちに病院に連れていかれた。
ビデオカメラを医師に見せていた。
そこには自分なのに子どものような声と行動を取っている自分が映されていた。いつ撮ったのかわからない。
医師は私に色々なことを聞いた後、うつ病と解離性障害である疑いが強いと言った。
でも病気だからどうすればいいの
生活費も学費も無い。
弟は高校受験。
病院に行くお金なんてないよ。
自分は働けるよ
でも誰も雇ってくれない
要するにね。自分のこと要らないんだって。みんな。
学費、どうしようね。来年度は生きてるのやめないといけないかもね。
結局今年も
もう今年も終わってしまう。
去年の今頃も体調が悪かった。私にあれだけひどいことをしてきた父親がずっと前に「学費は出す」と言うから待っていたけど一向に出してくれなくて、高校三年間、一生懸命頑張って働いて、大学の学費も出すって言ってくれていたから待っていたのに、結局出してくれなくて、こういう事態でもお金を用意していなかったのを世間では「自己責任」と呼ぶらしくて、お金がないのに大学なんて行けないから通信の大学にすることに決めたのが、多分今頃だったと思う。もう少し後だったかも。
高校も通信で後悔していたのに、大学まで通信では絶対に後悔すると思っていた。今思えば奨学金を借りてでも普通の大学に行くべきだった。
大卒の肩書も欲しかった、でも昔も今も、自分に必要なのは親しい友人だと思う。友人を作るというのは通信では難しい。年数回のスクーリングの、ほぼ全員社会人で勤勉意欲の高い人が集まる殺伐とした講義室の中でどう友人を作ればいいのか、自分には分からない。
そして去年の今頃、多分来年は自殺しちゃうんだろうなと思っていた。というか、毎年思っている。なのに結局まだ死んでいない。
今も毎日体調が悪い。バイトも決まらない。
他の人を見ているとみんな家族や友人、恋人が助けてくれているようで、それはそれで各々良い方に向かっていて良いなと思うのだけど、自分は誰に助けてもらえば良いのか分からない。
まともな家族は居ない、友達は1人も居ない、お医者さんは話を聞いてくれない、市の相談に行けば金に困ってるなら通信の大学であっても大学を辞めて普通に働けの一点張り。
学費どころか生活費もギリギリ。なんで自分だけ何も好転しないのだろう。
結局今年も良いことが無かった気がする。もう何年もこうだ。
来年も再来年も続くなら、消えてしまいたい。
子供とその親、幸せそうな人たち
先日、未就学児とその親を対象にした活動をしている団体の取材を行わせていただく機会があり丸1日活動にお邪魔した。
活動内容は身バレするため言えないものの、同じことをしている団体は全国にある。
今回はそのうちの1団体に行き、団体の職員、参加している親御さんに色々話を聞いた。
活動の狙いは親子とのふれあいの時間を増やすこと、同じ年齢の子どもたちのの関わり(これに関しては状況によりけりで心理学的には賛否があるのだが)、親同士の交流と言った感じだろうか。
団体が行っている活動は素晴らしいし、子供からすれば自分の事をこんなにも思ってくれる親や周りの人がいるのはすごく良いことだと思う。だが自分にはどこか心のなかで引っかかるものがあった。
取材中、全く人の話が入ってこない。脳内を支配していたのは自分の子供の頃に記憶だった。ここにいる子どもくらいの年齢の時は、毎日のように殴られ、要らないと言われていた。
そんな心配をすること無く親に愛情を注がれて育つ子供を見ていて、何故か、ただひたすら辛かった。本当のこと言って多分どこかで、子どもたちに嫉妬しているのだと思う。
私は今でも安心できる場所が見つけられない。今日はこんな事があったよと話せるまともな家族も、愚痴一つ言える友達も居ない。家族や医者や行政、離れた友人から教わったのは、自分さえ我慢すれば、黙っていれば、そうでないと、そうしても誰も居てくれないということ。
子どもたちには全てを受け入れてくれる環境がある。自分には何もない。
自分と、先日見てきた子どもたちや家族とでは、何が違かったのだろう。
私のカメラを持つ手は震え、取材のメモは1文字も取れず、何を撮ったのかも覚えていないまま、逃げるように現場から帰った。