どこに行っても「要らない」私
先日、出入りしている学校の体育祭があって撮影指導に行ってきた。
それはそれは元気な子どもたちと、そんな子供を見てなんとも幸せそうな親に囲まれながら、カメラ4台の管理を任されていたためグラウンドをあっちこっちと走り回っていた。
こんな事を地元の小学校中学校でかれこれ4年ほどやっているのだけど、それも仲の良い先生が定年退職されるため今年で終わり。
寂しい時間を紛らわせるためにしていた講師もどきもこれで終わりだ。
今日はバイトの面接に行ってきた。家から少し遠いコンビニのバイト。接客は苦手なことは分かっているけど、バイトを選んでいる場合では無いので応募した。
もう今年だけで何十枚も履歴書を書いた。証明写真も沢山撮った。今度こそは、今度こそはと思って毎回履歴書を書くけど落ちてしまう。
今日の面接の最後、言われたのは「後日郵送で通知を出します」だった。言われた瞬間「落ちた」と思った。
本当に、昔からどうして自分はこんなにも誰かの要らない人なのだろう。
お前なんか要らない、死んじゃえばいいのに、父親と祖父母に言われた言葉が脳内でループする。
自分は家族にだって必要とされなかった。社会で、世の中で必要とされる訳が無い。
バイトして生活費と学費を稼ぐ、通信でも大学生として勉強したい、そう思うことも贅沢だった。
どこにも居場所がない。安心できる場所も、生きていくために働く場所も無い。
まるで、いつ死ぬの?と言われているみたい。
自分がいくら頑張ったところでどうにもならない。
消えたい。