ワカさんのメンヘラブログ

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友人の命日に

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私にはまともに友人が、友達が居た事がない。

小中は避けられていたし、高校も大学もずっと通信で友達出来ないし、本当に寂しい。

 

そんな私が友達を作ろうと高校の時に、Youtubeで映像作品を制作しているチームのメンバー募集を見つけて応募した。倍率20倍位だったらしいが、リーダーが「この人が良い」と決めてたった1人、メンバーとして選んでくれたのが私だった。

収益化はしていたものの、稼ぐために動画を作る今流行りのYoutuberではなく、作品として作りたいものを作る、主要メンバーが数人の「制作集団」だった。あまり来ない人を入れると数十人。

 

当時からフリーランスで仕事をしていたし、趣味でもこんな事..とは思った。けど楽しかった。何より人と一緒に居るのが楽しかった。

特にリーダーは私の事を気に入ってくれているようだった。あのチームの中でまともに機材を持ってて編集が出来る技術系の人間はリーダーと私くらいしか居なかったから話が合った。人と話すのがたまらなく楽しくて嬉しかった。

 

チームに加わって1年程経った頃。チームとしてではなくリーダーと私で個人的に会うことになった。カメラを持ってフラフラ行こうと。それくらい仲良くなった。今も昔もこんなに仲良くなった人は居ない。嬉しかった。

私の家にリーダーが車で来てくれることになっていたその日、いくら待ってもリーダーは来なかった。彼は遅刻の常習犯ではあった、だが2時間も3時間も遅れたことはない。結局半日経っても来なかった。その間、電話を入れたりLINEを飛ばしたりしたが反応はなかった。

 

日が傾いてきた頃、知らない電話番号から掛かってきた電話でリーダーが事故で亡くなった事を聞いた。彼の母親からだった。

後々リーダーの家に線香をあげに行った時に知ったが、リーダーは私のことを母親にもよく話していたらしい。リーダーの母親曰く「滅多に外でのことを喋らないのに、ワカさんと会った日は必ず楽しそうに1時間でも2時間でも喋っていた」そうだ。本当のところは分からないが嬉しかった。

 

彼が亡くなってもう3年程になる。亡くなった時に思ったのは「自分が友達を作ると相手も不幸になっちゃうんだな」だった。自分の家族にしても、自分が生まれたせいで上手くいかなくなって私は不要なものとして育てられた。家族は不幸になった。リーダーが亡くなって思った。自分のせいで他人を殺したようなものだ。自分はどこまで迷惑な人間なんだと思った。

 

霊園が車で往復200km程の範囲にあるので命日には毎年お墓参りに行っている。

あんなに沢山居た当時の制作チームのメンバーも、殆ど連絡が付かなくなった。

私が死んでも誰も困らないだろうが、私がリーダーと知り合ったことで結果的にリーダーが死んで、数十人、数百人の人生を変えてしまった。

 

墓前で毎年言うのは「こんな私が友達になってごめんなさい。」だ。

 

彼の代わりに私が死んでいればよかったと、今も昔も思っている。