ワカさんのメンヘラブログ

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傷を負わせたあなたを、私は一生忘れない

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仕事がストップし、バイトを探すもどこも落ちたところばかりで完全に体調が落ちてしまい1日殆ど寝ていた。

やったことは洗濯物を洗って干したくらいだ。

 

夕方、なんとなくテレビを点けると日本テレビ「news every」の特集枠か何かで元ヤンキーの更生ストーリーが放送されていた。

キーパーソンである人は中学生から暴走族入りした程の不良で、その人が大人になった今、自分と同じ「不良」の更生をしている。といった内容だった。見たくなくてほんの数分しか見ていないから不正確かもしれない。

その人がインタビューで言っていた。「人は必ず変われる」と。こんなに悪をやった自分でもこんなになれました、と言いたいのだと思う。

 

この手の映像は一見美談に見えるが自分はいつも違和感を感じる。

今回オンエアされたものだけではなく、例えば有名アーティストが元暴走族で今はえらく楽しそうに活動して反響を得ているとかそういう事も、だ。

 

誰かがやんちゃをした暴れたとなれば、それは誰かが何処かで困ったことになる。もっと言えば被害者となった人が出ている。

不良が...では分かりにくいだろうか。では虐待加害者の更生ストーリーだったらどうだろう。

「私は私の子どもが生まれてから殴って蹴って、子どもが生きていることを否定し続け、挙句成長した子どもに精神疾患を負わせ一生癒えない傷を作りました。でも私は変わった。自分のような親と、その子どもを救う活動を始めました。」

そんな人が出てきたらどうするだろう。仮に私の父親と祖父母がそう言って出てきたら、どんな顔をすればいいのか分からない。

 

これは私の話になるが、私の人生の半分以上を暴力と暴言で押さえつけた父親と祖父母、頼ってと言うから頼ったのに結局は離れていった沢山の人、今そういう人がどんなに素晴らしい活動や人を救う職についたとしても、私はそういう人達を一生忘れはしないと思っている。他人の人生を滅茶苦茶にして今は人助けなんて都合が良すぎる。そう思う。

 

今日オンエアされたあの特集で、あの元不良やその取り巻きが誰かの人生を滅茶苦茶にしていたら、その滅茶苦茶にされた側の人間は、一生あなたを忘れないと、そう思っているのではないだろうか。

 

ゴミのように扱われた私は今、というか暴力から逃れてからもずっと何もうまくいかない。過去に人を傷つけるような生き方をしていても、今現在テレビの向こうで人に認められている人間になった人が居る。傷つけられた側である私はバイト1つ決まらず、生活するのも精一杯で大学を辞めるか辞めないかの瀬戸際。

 

私は加害者の側になればよかったのだろうか。